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人に対して諦めるということ
期待するから苦しい。
何かを求めるから、それが叶わなかった時に悲しい気持ちになる。
それをしっかり理解したのは5歳の時だった。
5歳なんて、まだまだ、父親に遊んでほしい年齢だと思う。
たまにしかない休みには子どもと遊ぼう、という気持ちなど微塵もなく、自分のしたい事をするだけの父親。
「遊ぼう」と言って近寄っても、まったく相手にせずに家を出ていく。
その度に悲しかった。無視される。遊んでくれない。
さらにその理由が本当にくだらない。
言葉にもしたくない。
母親は、無駄だよ、という感じで、「遊んであげて」と説得する様子もなかった。
5歳児の悟り
あるとき、なんでだかわからないけど、「あぁ、無駄だ」と思った。
どうせ何を言っても変わらない。
遊ぼうと言っても言わなくても、結果は同じ。
言うだけ無駄なのだ。
もう何も言わずに、家を出ていくのを見ていた。
引っかかっていたものがなくなったみたいに、すっきりした。
毎回あった悲しみとか、心に刺さっていたとげみたいなものを、感じなくなった。
心に波風が立たなくなった。
でも多分、大事な何か、しかも多分ちょっと大きめな物もこの時にひとつなくしたんだと思う。
今でもはっきりと覚えている。
出ていくときの光景、後ろ姿、ドアの音と、あの時の不思議な感情。
玄関の窓ガラスから光が漏れていたけど、そんなに青くはなかったから、多分ちょっと曇った明るい日。
人に対して、ここまでしっかり諦められたのはこの時が最後だと思う。
一生分の「諦める」を使い果たしたのかもしれない。