漠然とした不安感
小さいころからずっと、多分、記憶のある2~3歳くらいのころからずっとだと思うけど、なんだかわからないけどずっとずっと不安感があった。
自分が存在する意味。そんなものは本当にあるんだろうか。
自分は存在していいのだろうか。
無駄に自信があるところもあったけど、それって別に、安心感には繋がるものではない。
心の底から安心して生きていられる事がなかった。
みんな、どうなんだろうか。
他の人たちは、私みたいに、ずっと不安な気持ちを抱えていたりしないのだろうか。
居場所がほしかった
自分が存在してもいいと思える、安心して過ごせる場所が、ずっとほしかった。
否定されることなく、いい子でいないといけないと考える事もなく、自分を肯定してもらえる場所がほしかった。
それって多分、母親に、自分の存在を受け入れてほしかったんだと思う。
無条件で、存在するだけでいいと言ってもらえる場所であってほしかった。
そうやって「そのままの自分を受け入れてもらいたい」という気持ちも、もしかして求めすぎなのかもしれないけどでも、やっぱり自分の存在を肯定してほしかった。
私が死んだらさすがに、自分がしてきたことや、私に言ったこと、私に対しての態度を後悔するんじゃないかと思ったことなんて、数えきれないほどある。
言い返したところで、説明したところで、それらの私の行動や言葉が届くことは結局なかった。
多分これからも、一生、届くことはないんだろうということも分かっているけど。
母親というもの
たくさん人間がいて、いろいろな人がいて、そんな中でもやっぱり自分を生んだ人間というのは、特別だ。
そりゃそうだ。当然だと思う。
やっと、だいぶもう大人になって、母親も人間であるのだから、相性とか、性格も違うし、とかそういうことも分かってきたけど、でも母親というのは、他の誰よりも特別だと思う。
これまでのいろいろがあって、この人がどんな人間で、どう考えていて、自分に対してどういうことをしてきたかなんていうことももうわかっているけど、それでもやっぱりまだそう思う。
あきらめているとは言ってもまだ、どこかで、期待している部分があるのも分かっている。
私がずっとほしかったのは、自分を認めてくれる、受け入れてくれる、存在していいと思わせてくれる、そんな「母親」だ。
きっと一生、何もない顔をしながら、そんなものほしくないよ、というふりをしながら、心の奥で熱望しながら私は死んでいくんだろうと思う。