小さいころから消えたいと思っていた
何歳だったとかははっきり覚えていないけど、結構小さいころから、なんとなく「消えたい」と思っていた。
死にたいとはまた違う。よくある話だとは思うけど、私もなんとなくそう思っていた。
「消える」と「死ぬ」は違う。
死にたいわけじゃなくて、消えたいんだ。
死ぬのは怖いし、できそうな気はしない。
だけど、生きていたくもない。
自分の居場所とか、生きている意味とか、そういうものがずっと見つからなくて、自分は何で生まれたんだろうとか、そんなことをよく考えていた。
そう聞くと、ずっとひとりで過ごしていたとか、ひどい虐待を受けていたとか、そういうイメージなんじゃないかなと思うけど、そういうわけでもなくて、一般的に、普通には過ごしていたと思うし、そう考えていたことを当時にまわりにいた人たちは想像していないだろうと思う。
消えたいと思った理由
理由は自分の中でははっきりしていて、親に受け入れられていないと感じていたから。
この人は、私のことをこんなに好きでもないのに、なんで生んだのだろうとずっと思っていた。
私という存在を尊重される場所はどこにもなくて、というか小さいころの小さな世界には、そもそも場所自体が限られているから。そんな少ない中の家庭という場所は、小さいころの私にとっては世界のほぼ全てだった。
その家庭の中で居場所がない、と感じたら、もう自分の居場所なんでどこにもないのと同じなのだ。
まぁ大人になった今でも、自分が自分でいられる、無条件で存在していると思えるところなんてどこにもない。
一瞬だけ、あったと思っていた場所ももうなくなってしまったので、居心地のよかったあの場所のあの感覚だけを覚えてしまっていて、たまに思い出して何とも言えない、この世の終わりくらい悲しい気持ちになったりするだけだ。
とにかく、私は私というだけで存在していいなんて到底思える環境ではなくて、私が存在するためには、母親の思うような、いい子でいないといけないんだとずっと思ってきた。今でもそれは変わらない。
なんで変わったのか
考えてみたけど、こどもが生まれたからじゃないかなと思う。
本当にそうなのか、それが理由として正しいのかははっきりわからないけれど、自分がいなくなったら、こどもたちまで存在しないことになってしまうから、だからそう思うんじゃないかなと思う。
かわいいかわいいこの子たちが存在することだけでも、私が存在する意味があったのではないかと、ちょっとだけ思える。
でもそうやって、こどもたちの存在に依存しているのではという気持ちももちろんある。
存在する意味とか、そんなもの考えること自体がおこがましいのではという、そういう気持ちだって、もちろんある。
そうやっていろんな方向に考えが飛び散っていってしまって、最終的にわけがわからなくなってまとまらなくなる。