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学生時代の記憶-「私の方が大変だから(すごく嫌そうな顔で)」

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「自分の方が大変」って、人が大変な時に絶対言っちゃいけないやつだよね

その時母親は家にいなかった。
大学生くらいの時。
なんだか嫌な予感はしていた。母親がいないと父親が話しかけてくる事があるから。
関わりたくないからずっと、顔も合わせないように、話しかけられないようにしているのに、それでも何か言ってこようとするのが本当に理解できないけれど。

風呂に入っていたら突然扉を開けられた。
そこに父親が立っていた。
なんでか知らない。わからない。間違えたのか何なのか。
そんな事はどうでもいい。
腹が立つ。悔しい。何が嫌だとか、何がどうとか、説明なんてできない。
感情がぶわっと逆立って頭の中がひっくり返る。

それでも何とか風呂を出て、そうこうしているうちに母親が帰ってきた。

いきさつを説明。気持ちがおさまらないから話すしかない。
そんな私に返ってきた事。

「そんなの知らないよ。勝手にしてよ。私の方が大変だから。」

うんざりした顔。半笑いで。
そんなもん知りません、自分の方が大変なんだけど、と。

諦める再び

何度も何度も何度も、大学生になるまでにはもう、分かってる。
この人に自分の感情をぶつけたところで無駄なこと。
そんなこと分かっていても、どうしても言わないといられない事があったり、もしかしたら分かってくれるかもしれない、というほんの少しの期待もあったりしてしまう。
自分がバカなんだろうな。それも分かっている。

でも、今でも不思議だ。
この人は、自分の子どもの気持ちを受け入れようという気は微塵もないのだろうか。
受け入れるのが嫌なんだとしても、だ。
自分は、嫌なことがあった時、私に話して、聞いてもらおうとするくせに。自分はしてもらって、人の気持ちは一切無視って、そんな都合のいいことがあっていいと思っているのだろうか。
こういう出来事は大体自分の中におさめておいて人に言わないし、あまりにひどすぎて悲しくなるから話せないから、これを聞いた時の人の反応というのがわからないけれど、みんなどう思うのだろうか。
母親にそんな事を言われるなんてかわいそう、って思われるのだろうか。
それとも、お母さんも大変なんだから、そんなことに付き合っていられないよ、あなたが話を聞いてあげなよ、って言われるのだろうか。

やっぱりどうしても自分が感じる事が自分の世界を占めていて、主観で話してしまうから、悲しい、ひどい、と思ってしまうのだろうか。

でもそれでも、「母親に受け入れてもらえない」という現実はいつまでたっても私の心に傷をつける。
そしてそれはきっと二度と治らない。

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