「お母さんが小さいころなりたかったものって何?」
子どもたちに最近よく聞かれる。
小さいころ何になりたかったの?と。
小学校6年生くらいの時って、卒業アルバムだなんだと、そういうのを書かされたから、自分がそこに、「先生」と書いたのを覚えている。でも別に、心の底から先生になりたいなんてこれっぽっちも思ってなかった。
ここでもやっぱり、自分の気持ちは分からなかった。
ただ、母親がなんとなく言っていた、「先生になったらいいんじゃない?」という言葉はしっかり心の中に染み込んでいて、はっきりとそう思っていたというわけではないけれど、それでも「私が先生になったら喜ばれるんだ。」という気持ちから言っていたんだと思う。
自分のなりたいものすら、私には自分で考えることが出来ていなかった。
でもそれに気づくことすら、随分と大人になってからになる。
自分は、まわりに、というか母親の意見に完全に支配されて生きてきてしまった。
今考える、なりたいもの
思えば、自分の気持ちとか、自分の意見とか、自分の好きな物とか、そういう事を書かないといけない場面が、本当に苦痛だった。何を書けばいいのかわからない。自分の意見が何なのかも分かってなかった。でもそれにすら気づいてなかった。
自分は、ちゃんと自分で考えていると思っていた。意見もあると思っていた。
でもそれはほぼ全て、「こうしたら褒められるだろう。」、「こう言えば受け入れるんだろう。」という、母親がどう言えば納得するかというのを考えていただけのことだったと、後から気づく。
自分の意見を言って、それをけなされるのが本当に嫌だった。
自分の意見を押し殺すという理由に、「自分の心を守る」という意味もあったのだろうと思う。
今考えても、その時、自分が子どもの時、本当になりたいものとはなんだったのか、分からない。
そんな中でも私がもっと強い意思を持っていたら、こんなことにはならなかったのだろうか。