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小さいころの記憶-「結婚したのは人生で最大の間違い」

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事あるごとに言われていた言葉

多分、もう我慢できなくなって言わずにいられなかったんだろうなと思うけれど。
母親はもう物心ついたころからずっとずっと、何かある度に私に言っていた。
多分、まだ小学校に入る前から、ずっと。
「結婚したのは人生で最大の間違いだった」と。

そうだろうね。
こいつと結婚なんてしなかったら、自分は幸せだったかもしれないのに。
なんでこんなやつと結婚してしまったんだろう。
なんで結婚なんかしたんだ。なんでこんなことになったんだ。
こいつのせいだ。全てはこいつと結婚したから。
なんで。なんで。なんで。
そのせいで自分の人生は終わってしまった。

わかるよ。本当に、子どもの自分から見ても、なんでこんな人間と結婚したんだろうと不思議だよ。
自分の事しか考えてない。自分さえよければいい。
自分が使える金がほしいだけ。目の前のことしか考えない。
まともな思考を期待する方が無駄。
どれほど苦労したか、どれほどの思いをしてきたか、そんなの子どもの時から分かってたよ。
だから、かわいそうだと思っていた。
結婚なんかしなければ、この人はきっと幸せに暮らしていたのに、こんな思いしなくてよかったのにって心の底から思っていたし、今でもそれは変わらずに思っている。

でもね。

そう言われたあなたの子どもである私

あなたが結婚して、私が生まれたんだ。
それは紛れもない事実。
結婚しなかったら、生まれてなかったんだよ。
「結婚したのは人生で最大の間違い」だということは、その間違いで生まれた私は、あなたが幸せで楽しく暮らせる、正しい人生の中では必要のない人間だということ。

「離婚すればいいのに。」とずっと言っていた。
なんで離婚しないの、と。
そうすると決まって返ってくる。
「子どもがいるのに離婚できない。」

その度に思う。
私のせいだ。
子どもが生まれてしまったせいで、離婚することもできない。
私が生まれたせいだ。
人生で最大の失敗の結婚で、私が生まれてしまった。
そのせいで、さらに地獄から逃れられなくなっている。

「おまえさえ生まれなければ」と言われたわけではない。
だけど、人生で最大の失敗の結婚で生まれた私は、当然だけれど、母親に歓迎される人間ではないということぐらい、小学校前の幼児でも当たり前に考えられることだと思う。
この人にとって、自分はいらない人間なのだ。自分の幸せのためには、必要のなかった人間なのだ。
もし違う世界線に生きた母親がいたとして、その幸せな人生に、私は存在していないということだ。
母親自身はそれを望んでいる。私が存在していない世界を。

最終的に私の思考がどこに行きつくかというともちろん、「私さえ生まれなければ。」となるのは当然の事だと思う。

自分は存在しない方がよかった人間なんだ

結婚したことで私が生まれたのに、その結婚自体を、子どもの目の前で「人生最大の間違い」だと全否定する。
それが、言われた側にとってどういう気持ちになるかという事を考えなかったのだろうか。
確か大人になってから、そのことを少し話した事があるはずだけれど、結局私の気持ちが報われることなんかあるはずもなかった。
「そんなに何回も言ったことはない」というようなことを言われただけだったと思う。
そういう言葉を言われる事でさらに傷は抉られていくのだ。
だからもう、それ以降はそういう話すらしていない。
どうせ何か言ったところで、自己主張されて終わるだけだから。

とにかく、私は自分が存在するために必要だった過程自体を否定される事で、自分自身で自分の存在を大切だと感じることはずっとできなかった。
小さいころそう思ってきた事って、もちろん大人になってから急に、「生んでくれてありがとう」とか思えるようになるはずもなくて、今でもずっと、基本的にあるのは自己否定でしかない。

私は生まれてこなければよかった人間です。
必要なかった人間です。
母親の幸せな人生のために、いない方がよかった人間です。
存在してごめんなさい。
生きていてごめんなさい。
でも、だったら最初から生まなければよかったのに。
生まれてきたせいでこんな気持ちになって、こんなに苦しい。こんなに苦しい気持ちになるなら、最初から存在しなければよかった。

普段、すごく暗くて笑う事もない、とか、そういうわけではもちろんないけど、楽しいこともあるし、周りから見たらそこまで暗い人間であるとまでは思われていないんだろうけど、でも私の根本はこういうとても暗いものでできている気がしている。

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